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南砺守通信〜the World

ラジオリスナーの「すもっぷ!!」でもありますが、”ラジオ”を取っ払ったところで、すべてのことの「リスナ−」でありたいです。

NGO Y.S.C.C

2008年12月02日
1998年の今日は、サッカーの横浜マリノスと横浜フリューゲルスが合併調印して、横浜フリューゲルスが消滅した日。


その横浜フリューゲルスの元の元となったクラブが 横浜スポーツ&カルチャークラブ(よこはま−、Yokohama Sports&Culture Club)。


産声をあげたのは1986年。
この年、全日空横浜クラブを退団した吉野次郎(現Y.S.C.C.理事長)など2人の元選手が、創設したクラブ。

住民と深くつながるスポーツクラブを通じた地域文化の発展を目指した、まさにJリーグの理念に合致する。


それから2003年には、サッカーチームに所属する子どもを送迎する母親を対象としたヨガ教室を開始。それをきっかけに、総合型地域スポーツクラブへと歩み始めました。


そして今やNGO法人。


もちろん今も存続して、地域スポーツに貢献し続けている。





YKK APサッカー部も黒部のスポーツ人口を増やす核となって欲しいですね。

セールス電話(-_-;)

2008年12月03日
夜なのに、どっかから外線電話がかかってきた、会社ながに。


受けて、電話の主のリクエストの人に繋いだのだが、どうやらセールス関係であった。(-_-;)


株の投資やら何やらという言葉が出ているが、こっち側の人が”忙しい”と訴えても、向こう側はそんなことで止める輩ではない。


その間、こっち側の人がヒートアップしながらも、あたかも得意先との電話を切るような態勢にしようと真面目に話している姿に、うちら回りの人間は”はよ切ればいいがに…”と思いつつ、見守りつつ、自分の仕事に戻ると、なぜかこっち側の人が向こう側に謝っている声と…なんか向こう側のペースになりつつなっているさなか、おいらは会社を出た。



その間、約1時間。


くれぐれも向こう側のペースに乗ったらあかんです。



インド人”で”びっくり!

2008年12月04日
某ラジオを聞いていたら、すんげえニュースが飛び込んだ!

産経ニュース
〜〜〜〜〜ここから

 米大リーグ、パイレーツは24日、インド出身のリンク・シン、ディネシュ・パテル両投手とのマイナー契約を発表した。球団によると、大リーグ球団がインド人選手を獲得するのは初めて。
 両投手は野球選手の才能発掘を目的としたインドのテレビ番組「100万ドルの腕」に応募した約3万人の中から選ばれた。大リーグで数々の名投手を育てた南加大のハウス投手コーチの下で約半年間トレーニングを続け、12日にアリゾナ州でトライアウトに臨んだ。
 球団ホームページによると、シンは19歳の左腕で、球速は最速145キロ前後。右腕のパテルは20歳で、最速150キロ近いという。ともに高校時代はやり投げの選手だった。(共同)


〜〜〜〜〜ここまで

よく考えたら、プロ野球に入る人は日本でも、野球経験者ですねえ〜。


このインド選手、途中で投げやりにならないように…活躍、期待してますっ。

お節介ながら…

2008年12月04日
お節介ながら、昨日今朝の新聞見て思ったわ。



今度の総選挙に橘高岡市長を擁立して、邪魔ないがけ…


こちらの中にも選定に関わられた方があるとかないとか…



橘高岡市長さん自身は”何も聞いとらんから、今わからんわ”ゆーとるらしいけど、新聞にあんだけ出とるということは、実は出る気満々やったりして。


しかしやちゃ、あれじゃ萩山さんは支部長としての面目まるつぶれで上げた拳、なかなか下げれんやろうなあ…。


小矢部の柴田県議さんの方は最初からやる気満々で、拳上げっぱなしやし。





”保守系三人で星のつぶしあいの末、野党候補に漁夫の利を奪われる”ってことが出てくるやも…。




門外漢のおらが言うのも何ながいけど…。


あの時、”BEATLE”たちは?1

2008年12月06日
「あの時、”BEATLE”たちは?」と題した第一弾。

ジョージハリスンが亡くなった年、他のTHE BEATLESの元メンバーたちは何をしていたか。




ジョージハリスンが亡くなったのは2001年11月29日。

ポールマッカートニーの場合は…

ポールは1998年に長年連れ添った妻のリンダが乳癌で亡くなり、2002年にへザー・ミルズと再婚ということで、その間の時期でした。

前妻を亡くした哀しみが癒えてきた頃でしょうか。

翌年に3度目のソロ日本公演を控えて、ポールが動き出そうかなあとしている頃でしょう。


一方リンゴスターは…

リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドの第7期に当たります。


さて、元メンバーの中でジョージの死を悲しんでいたのは誰でしょうか?

ピート・ベスト


…だれけ?(^-^;

おいらも初めて知りました。

THE BEATLESのリンゴスターが入る前にいたドラム。

ピート・ベストと他のメンバーとの不協和音の末、追い出されたのがピート・ベスト。

リンゴの加入をおおいに勧め、ピートを追い出す急先鋒がジョージハリスンでした。

しかし、ジョージの晩年にピートは会えたし、ピートは「彼(ジョージ)はナイーブでナイスガイなんだ。彼は失意に陥った僕を密かに慰めてくれ、僕に元気を与えてくれたんだ。僕にとってジョージこそビートルズの真のメンバーだと思っていたんだよ」と述べていた。

晩年にわかりあえたジョージが亡くなった時、ピートはジョージのために黙祷したという。


ジョージハリスンの人柄を示すに充分なひとこま。

新湊総合体育館

2008年12月06日

午前中、そこで会社のイベントがありました。

社内での発表会で、今回初めて会社の外で行われました。


午前中から雪ということで会場内も冷え冷えかと思いきや、暖房がだんだん効いてきて、眠い。(笑)


しかしおいらは受付の係+休憩時の飲み物の売り子(笑)やら最後のアンケート回収やらと何じゃかじゅうやっとったわ。


…それにしても、会場の半分しか使用せんのって、贅沢にもほどがある。(笑)



写真は体育館内にあった元幕内大旺の化粧まわしなど。

新湊出身。

隔世の感

2008年12月07日
今朝のK新聞をみると、対照的な記事が左右を並べていました。


左には鹿島アントラーズの連覇、右には東京ヴェルディのJ2落ち。

両方とも、一時代を築いたチーム。

片方は復活して連覇、もう片方は苦労してJ1に復帰したのに、一年で陥落。


隔世の感を感じます。


ついでに、まさかジュビロ磐田が入れ替え戦に名を連ねるとはねえ…。


一方、鹿島を追い出された柳沢敦が日本人最高得点だったのは、古巣鹿島への意地だろうか。

あの時”BEATLE”たちは…2

2008年12月08日
”1”の出来事から21年遡った今日、彼の命日でした。


ジョン・レノン


私にとっての最初の”THE BEATLES”の出来事はこれでした。


世界に大変な衝撃を与えたこの事件も、当時小学生だった私には、”一事件”でした。


そんな私ですら、記憶の底に残っているのですから、元メンバーにとっては、察して余りあると思います。


まず、その頃ジョージハリスンは…



副業の映画プロデューサーとして成功を収めた一方で、本業の音楽活動からは遠ざかるようになっていて、1980年に制作したアルバム『想いは果てなく〜母なるイングランド』はレコード会社に発売延期と収録曲の差し替えを命じられてしまう屈辱を味わいながらもレコーディングを再開していた。

ジョンの訃報後、彼の作った追悼曲「過ぎ去りし日々」は全米チャートで最高2位を記録する大ヒットとなり、復調の兆しは垣間見ることができた。



リンゴスターの場合は…

1976年に古巣EMI/アップルを離れ、アトランティック・レコードに移籍した頃から、好調だったソロ活動に翳りが見え始め、1977年のアルバム『ウイングズ〜リンゴ?』は、ビルボードのアルバムチャートで100位圏外という結果に終わってしまう。そのため彼はレコード会社から契約を打ち切られるわ、さらに、プライベートでも腸の病気を患って、一時危篤状態に陥ったり、ロサンゼルスにある自宅が火事で全焼したり、と、踏んだり蹴ったりの時期でした。
しかし映画『おかしなおかしな石器人』の中で共演した女優のバーバラ・バックと1981年に再婚する。


ジョン・レノン殺害事件直後、夫妻は急遽ニューヨークのオノ・ヨーコのもとに向かい、彼の死を悼んだという。




ポールマッカートニーは…


1980年代以降はソロ・アーティストとして活動し、全米チャートの首位に9曲、トップ20に20曲以上を送り込んでいた。

そんなポールでもジョン・レノンの死を知った時、作曲活動のパートナーとして、ビートルズの黄金時代を共に築いたレノンの突然の訃報にマッカートニーは大きな衝撃を受け、数か月間、自宅に引き篭もって過ごしたという。


ジョンとポールはライバルであり、真の仲間だったことでしょう。

”練習は嘘をつかない”

2008年12月10日
昨日の新聞のスポーツ欄にはゴルフの3タイトルに輝いた石川遼選手の記事が出ていた。

プロ一年目でマスターズも?というくらいの大活躍で、さぞかしオフはテレビに引っ張り凧か…と思いきや、年末年始のテレビ出演を断ったとのこと。

一年目の結果に奢らず、自分の目指すゴルフ目指して技術をさらに磨いていって欲しいものです。


その石川遼選手、インタビューの中で、一時期の不調を乗り越え、「練習は嘘をつかない」という言葉をのこしています。



この言葉、実は夏ぐらいにも一度聞いたことがあります。

マラソンの野口みずき選手


残念ながら、出場辞退という結果でした。

コンディションもさることながら、天候や持病などが伴うと、時に裏切ってしまうことを、野口選手が見せてくれました。




石川遼選手は…

…乗って、どうするの?

2008年12月11日

とある場所の男子便所に張り出されている貼紙である。



所謂”注意書き”というものですが、このことから便器の上に乗る輩がいるということが伺える。




しかし、ここは男子便所だ。

なぜ便器のうえに乗るんだ?



女子便所は壁の向こうなのに…







謎が謎を呼ぶ。(^-^;

今年は早々と

2008年12月15日
今年は早々と、年賀状を買ってパソコンでカタカタ…おいら的には。(笑)


早速第一陣を投函してきました。


今年は余裕で期日までに投函できそうだな…といいながら、例年通りにぎりぎりになっていたりして。(爆)


ぼ〜っ年会

2008年12月19日

ただいま真っ最中〜♪(笑)

会社の忘年会でおます。

”○○の彼氏はだれだ〜♪”という尋問が多々ありけり。


…あっしは、”ちょっと、聞き耳を…”。(笑)


…ウェイティング バーかよ。(笑)

驚くべき法隆寺

2008年12月20日
ある”よみもの”にこんな記事があった。


奈良の法隆寺。


柿食えば〜で有名な法隆寺。

その法隆寺の柱は、檜で出来ているとか。


「昭和最後の宮大工」といわれた西岡常一氏は、法隆寺の恐るべき秘密はその「檜」にあるとと語っている。

寺社建築には欅が用いられるようになったのは鎌倉時代以降らしいが、欅と檜の強度を実験した所、驚くべき結果がでてきた。

新材のときは欅は檜の2倍の強度であった。

ところが欅の強度は劣化がはやく、数百年もしないうちに檜以下になってしまう。

それに対して檜は、用材となってから100〜200年間はかえって強度が増加し、その後徐々に減少するものの、1000年たってようやく新材のときの強度に戻るという結果が出ている。
…逆に強くなるって…

たとえば法隆寺の直径70センチの丸柱は、直径2・5メートルの丸太を4つに縦に割って、さらに丸く削りだしたものであるので、樹齢は、少なく見積もってもなんと2000年以上!!

法隆寺はなお700年以上はもつということ。

すげー。


当日の職人はなぜ用材に檜を使ったかというと、工具の未発達が一因であったが、人間社会だって、その人の本質なんて十年や二十年ぽっきりでわかるもんじゃないですね。

ある良識子いわく、”千年の知己”というのもあながち大袈裟なわけじゃないですね。


昨日の出来事ダイジェスト

2008年12月22日
午前中とある所に出掛けていたけど、風邪がなかなか取れない為、早めにうちに向かうが、なにしろ風邪引いててもやんなきゃならないことが今日に限って多く、携帯店(画面の映りが悪かった為)に行ったり、地元の人足合わせの為に公民館に行ったり、タイヤ交換に行ったり、ラジバンダリ〜♪としておりました。

で、昨日は冬至ということで、我が家でもゆず風呂でしたが、うちのおかん、本物のゆずじゃ足りないらしく、バブ(ゆずの香り)入りのゆず風呂で訳わからなかった。(笑)



丼王子、幕内を行く。

2008年12月26日
昨日の新聞に出ていましたが、ついに山本山関が幕内に昇進しました!\(^O^)/


先場所終わって、初場所は幕内か微妙でしたが、幕内昇進が決まって、よかったです。

今年は嫌な事件が多発しましたが、山本山関の幕内昇進で、終わりよければすべてよし。(笑)



PCからご覧の皆さんはお気付きと思いますが、山本山オフィシャルサイト(http://www.yamamotoyama.org/)に飛べるようにしてあります。

調子がよければ7杯はいけると豪語する"どんぶり王子"が皆さんのお越しをお待ちしております。(笑)



部屋の掃除

2008年12月30日
例年、土壇場になってしまう自分の部屋の掃除を本日敢行〜♪

ようやくブログ更新モードだ!(^^)v

まだまだネタがあるので、どんどん更新しよっと。(^^;

新潟見聞録2008秋

2008年12月30日




親不知子不知海岸。
海と山と道路の3すくみの映像はいいですね。(^^)




衝撃映像。
ここは下道ではありません。
ちゃんとした高速道路です。

上越〜長岡の間の模様です、しかも今年秋の映像です。

今はどうかわからないですが、ずっと50km規制でした。

その理由は、「震災復興の都合」

新潟中越沖地震の傷跡が現在も尾を引いていました。

ましてや宮城の地震の復興は”これから”と思わずにおれません。


京都見聞録2008秋

2008年12月30日
秋に京都に行っていました(が、書く暇なかったため、今書いている)。




....どこやったけ?(忘&笑)




京都の町の橋の写真。
橋の間から道路を写してみました。




京都の町からちょっと小道に入ったところにかわいらしいうさぎの寄り合い。(笑)





ちょうど何かの祭りで山車や馬などが練り歩いていました。




川の中の石が、いやにでかいっす。


京都って、中心街から外れたところにこそ、趣がありますね。




年末警戒(二日目)

2008年12月31日
昨日、初めて年末警戒に参加。

外は強い風に加え、雪模様。

現青年団長含む青年団員7名+在所の消防団員4名が消防車が来るのを待っていたが…来なかった。(笑)

その後は、酒盛り開始。

色々話が出ていたが、今の少年団の子どんどもは昔に比べてひどいらしい。

例えば柔道。
ちんたらちんたらやっていると、師範から喝!が入るが、子どんどもは気の抜けた返事で‘は〜い‘。特にめろんこがひどいとか。(-_-メ)

基本的な礼儀からせんといかん状態。(兄貴姉貴と同じ道を進んでいる子供はまだいいけど。)

だけど、元を辿れば、例えば授業参観でその子どんどもの親が来とっても、隣の親と喋っていて、自分の子供を見ていないように、子供の‘管理‘が行き届いていない親に責任があるんじゃないかと。

地区の先輩たちの意見。


余談 うちの近所の50代の人(奥さん中国人で、おいらとだいたい同じくらいの年齢)、来年子供生まれるとか。 …おらっちゃの分も貢献してけれ。>少子化対策(爆)



作者 : よっち

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